2017年6月23日金曜日

続フシギな短詩129[月波与生]/柳本々々


  悲しくてあなたの手話がわからない  月波与生

私は2013年の秋から川柳と短歌を投稿し始めたのだが、そのときネットで現代川柳においてどう活動していくかを模索しながら日々精力的に実作されていたのが月波与生さんだった。私は月波さんがいる「おかじょうき」に興味をもってその後「おかじょうき」に入った(でも「おかじょうき」の句会に一度も出席したことがないし、「おかじょうき」の方々にいまだお会いしたこともない。そういう川柳人もここにいます)。

その頃、『川柳マガジン』で月波さんのある句をみて急いで書き写した。掲句である。

それは「時事川柳」のコーナーに投句されたものだった。2014年の頭のことだ。でも、今、2017年にこの句をみて「時事川柳」だとわかるひとがいるだろうか。

わたしは、そこに、惹かれた。

「時事川柳」という枠組みで、「時事」をこえた句をつくっているひとが、いる。つまり、時間とともに成長する句を。

じゃあこの句の時事性とはなんだったのか。とてもインパクトのあるニュースだったから覚えているひともいるかもしれないけれど、南アフリカのネルソン・マンデラ大統領の追悼式でデタラメ手話通訳をしていたひとがいたのである(2013年12月のニュース)。彼はまあとりあえず適当に手をふりまわして、でたらめに手話をしていた(ある意味、通訳というよりは彼は手の表現者だったと言える。パフォーマンス・ハンド・アーティスト)。

手話はでたらめだった。だから手話を知っているひとたちがテレビでそれをみてすぐに気づいた。あの手話はでたらめだ、あいつの手話はなにをいっているのか《わからない》と。

この突然ニュースとして時事にあらわれた〈わからなさ〉を月波さんは「時事川柳」として句に組み込んだ。

そのとき大事なことは月波さんが「時事川柳」によくある〈トホホ〉や〈怒り〉や〈アハハ〉の枠組みを用いなかったことだ。

ここにあるのは、〈悲しみ〉である。しかも一般的な誰かの悲しみではない。今、手話を受けている〈わたし〉の〈悲しみ〉である。

わたしはあまりに悲しんでいて、あなたの手話がわからない。泣いているのかもしれない。あまりにもショックで視界がおぼろなのかもしれない。あなたのことを見る気力さえもうないのかもしれない。ほんとうに、わたしは、かなしい。ほんとうにかなしいとき、言葉がつたわるのかどうかという問題がここにはある。

わたしたちは悲しいときも、その悲しみを言葉にしなければならないときがある。しかし、ほんとうにひとが悲しいときに、コミュニケーションができるのだろうか。それは、〈でたらめ〉にならざるを得ないではないのだろうか。

そしてそれはわたしたち人類が滅びるまで、ずっと、ずうっと、続くのだ。わたしたちは、まだ死すべきにんげんだから。わたしたちは死をうけとめてかなしくならざるをえないし、コミュニケーションの不可能性に直面せざるをえないから。

つまり、月波さんは人類の〈時事川柳〉を描いたとも言える。人類のニュースなんだ、これは。人類の時事なんだ。

人類の時事川柳というものがあるんだ。

だから、私はいそいで書き写した。これを見落としてはいけないと思ったから。わたしは、まだ、たぶん、どんなにかなしくても、まだすこし、いきていかなければならなかったから。

  にんげんになりたいものは手をあげて  月波与生


          (「尾藤三柳 選・時事川柳」『川柳マガジン』2014年2月号 所収)