2017年6月2日金曜日

続フシギな短詩122[千春]/柳本々々


  土にかえるから夫への説得  千春

「浮雲」と題された連作。「浮雲」のように〈わたし〉は連作のなかでたびたび消えそうになる。

  天の雲浮遊する前笑おうね  千春

  ウグイスが鳴くから私とけてゆく  〃

ただ問題はどう自らが〈転生〉して浮かび上がろうとしようとしても「夫」という最終審級がいるということだ。

この「夫」はわたしの転生を許さない。「土にかえる」ときに「夫」を「説得」しなければならない。

説得、ってどういう意味かあらためて考えたことがあるだろうか。実はわたしもない。ちょっと辞書で調べてみよう。

【説得】自分の意志や主張を相手に話し伝えて納得させること。

とあった。「説得」の「説」は「説き伏せる」の「説」であり、「得」は「納得させる」の「得」である。このように相手に過剰に関わり、相手と関係を築くことが〈説得〉なのだということがわかる。説得とは、相手の納得なのであり、相手の主体性の確保なのであり、私の主体のありようではどうにもならないものなのだ。

だからこの連作における「説得」という言葉の強さは、大きい。

この連作は例を示したようにともすれば〈わたし〉が「浮雲」化しようとする連作である。雲のように消えようとしている。ところがそこに「夫」がいる。夫は「浮雲」になるならなるで「説得」しなければならない存在である。しかし「説得」とは主体の連携なのだから、もし「夫」を「説得」させられたなら、わたしは「浮雲」になることはできない。「夫」に〈留め置かれる〉ことになるからだ。「夫」と共に生きることになってしまうからだ。

説得は、激しい。生命の激しさがある。

連作の最後にこの句が置かれていた。

  生きるんだそうと決めれば鳥かなあ  千春

語り手は「生きるんだ」と「決め」そうになっている。「夫」との関わりで「浮雲」化しない方向を選ぶのかもしれない。それも共に生きることだと、思う。まだ「かなあ」の段階だけれども。でも「生きるんだ」と語り手は、ことばにした。

「鳥かなあ」に注意したい。連作は「浮雲」というタイトルだった。「雲」は地上には降りてこない。生命でもない。しかし、「鳥」は雲に近い場所にいることもあるが、大地にも降りる。生命である。語り手は「浮雲」というタイトルを冠しながらも「夫」との関係のなかで「雲」にならない生を選びとったようだ。

生きる、は、タイトルを裏切ることが、ある。

          (「浮雲」『川柳の仲間 旬』211号・2017年5月号 所収)