2016年11月18日金曜日

フシギな短詩59[森三中・大島美幸]/柳本々々



  夫とは変なひとです秋うらら/そぞろ寒  大島美幸



TBS「結婚したら人生激変!○○の妻たち」という番組のなかで俳人の夏井いつきさんが森三中の大島美幸さんに俳句のかんたんな作り方を教えていた。その教え方がとてもおもしろかった。これだったらたしかにみんなつくれるのではないか。いやつくれるかどうかはともかく、俳句の構造を理解しやすいのではないか。

まずいつきさんは大島さんに「夫を一言でいうとどう思うか」をきいた。

「夫は変なひとです」と答える大島さん。

じゃあそれを5・7にしてこうしましょうと、「夫とは/変なひとです」の五・七になった。

これでほとんど俳句の本体はできあがった。この五・七に季語の五音をくっつければ、俳句として完成だという。ここでいつきさんはそれとなく注意深く〈俳句の範疇〉という言い方をされていたと思うが、ただこうした口語体俳句は池田澄子さんの俳句を思い出せば、俳句としてはなんのフシギもないように思う。

そこからが、おもしろかった。

「夫とは変なひとです」の5・7に、季語「秋うらら」をつければ、夫婦仲がよさそうなベクトルの俳句になり、季語「そぞろ寒」をつければ離婚危機の方向性をもった俳句になる。つまり、どのような季語をつけるかで、夫婦の関係性の質感が変わるのだ。

ここでわたしたちはあることを学習する。すなわち、季語とはベクトルなのだと。ある言説に質量をもった方向性をつけくわえるのが季語なのだ。これはちょっと驚くべきことではないか。ふつうは、「夫とは変なひとです」が俳句の言説のベクトルだと思うのではないか。ところがそれはちがう。季語がベクトルなのだ。

  黄落やなぜわたしではないのです  夏井いつき

「黄落」という季語の意味がわからなくても「落」という感じからこの季語のもつ負のイメージがわかるはずだ。そういえば、いつきさんは現在放送中のNHK俳句でもいつも季語のもつイメージを図解している。季語はことばにイメージの方向性を与えるのだ。

そしてその意味で、俳句にとって季語は必然性がある。言説の舵(かじ)を取るのが季語だから。明暗をつかさどるのが季語だから。季語はことばの船の船長のようなものなのだ。

裏返せば、季語のない短歌や川柳はベクトルを自身の言説のなかでつけくわえるために〈意味性〉を重視するのだといってもいい。方向性やかじ取りを意味によって打ち出すのだ。でないと、方向性がなくなるから。言葉の船は座礁する。

わたしは番組を見終えたあとで、うーんなるほど、とあごに手をやった。納得したのである。そうして、胸に手をおいて、眼を閉じた。ふかく納得したのである。眼を閉じたさきの闇のなかには、わたしの好きな夫婦俳句がくるくると回転している。好きなのである。

  屠蘇散や夫は他人なので好き  池田澄子  
(『シリーズ自句自解Ⅰベスト100 池田澄子』ふらんす堂、2010年)



(「結婚したら人生激変!○○の妻たち」TBS、2016年10月24日 放送)