2016年6月14日火曜日

フシギな短詩21[東直子]/柳本々々



桜桃忌に姉は出かけてゆきましたフィンガーボウルに水を残して    東直子




六月十九日は、小説家太宰治の忌日である桜桃忌。太宰治の遺体が玉川上水から上がった日であり、同時に、太宰治の誕生日でもある。

わたしたちは、短歌で、俳句で、川柳で、たびたび、太宰治に、または桜桃忌に、であう。でも、それらはそのときどきの形式に応じて少し特殊なかたちを伴ってあらわれてくる。今回は短歌にあらわれた桜桃忌。

太宰治は山崎富栄と玉川上水に身を投げて死んだ。だから(当時、流れが激しかったらしい)玉川上水に沈んだ太宰のボディにあふれる水と、この短歌における「水」はどこかで共振している。姉が残していったのは「フィンガーボウル」という手を洗うための「水」だった。太宰も「姉」も、身体を水に漬け込み・もみ込んだあとに旅立ったと言える。

でも、大事なことは、死者も出かけた姉も〈なにも語らない〉ということだ。死んだ太宰を語り続けているのは、死後も生きているこのわれわれであり、出かけてしまった姉に取り残されたこの〈わたし〉なのだ。

いったい、〈わたし〉は、なにを語ろうとしているのか。

実は桜桃忌に出かけた姉に対して「フィンガーボウルに水を残して」のイメージを付着させているのは取り残されたこの〈わたし〉なのである。姉はすでに出かけていないのだから。だとしたらむしろボディをめぐる「水」を通して死んだ太宰と共振しているのは妹であるこの〈わたし〉の方なのではないか。

姉についていかなかった〈わたし〉は桜桃忌には出席しない。取り残されたんだから。でもだからといって妹の〈わたし〉が桜桃忌に対してなにも思っていないわけではない。彼女は「桜桃忌」という太宰治の死をめぐる〈みんな〉のイヴェントにボディを赴かせるよりも、むしろボディをめぐる〈水〉を太宰と姉とともに語り起こすことによって〈言語〉を通じて〈太宰治の死〉に接近しようとしているのではないか。つまり彼女にとっての〈桜桃忌〉とは、この言語に、この短歌にこそ、あるのだ。

〈みんな〉の桜桃忌に対峙される〈ひとり〉の桜桃忌。

そう、忘れてはならないのは、この歌が「姉は出かけてゆきました」と「取り残された側」からの語りである点だ。

もし桜桃忌という文学イヴェントが太宰治をつねに想起し、語りつむぎながらも、一方でともに死んだ山崎富栄を忘却し抑圧していった側面があるのならば、その忘却され、いまだに言説の水のなかに沈んだままの山崎富栄の側から太宰治を語り起こしたらどうなるのか。「取り残された側」から、「取り残された水」から〈桜桃忌〉を思考=志向するとは、どういうことなのか。

そういう「取り残された側」の視線をこの短歌は含んでいるようにおもうのだ。「出かけて」いった〈姉〉を見つめる〈わたし〉の視線=語りとして。

そしてそのときはじめて〈わたし〉は、これまでとは違ったかたちで〈桜桃忌〉に近づいていけるのではないか。姉とはちがったかたちで。

  私の大好きな、よわい、やさしい、さびしい神様。世の中にある生命を、私に教えて下さったのは、あなたです。
  (山崎富栄『太宰治との愛と死のノート』学陽書房、1995年)

取り残された側、出席できなかった側、置いて行かれた側、忘れられた側からの桜桃忌。それをわたしに教えてくれたのは、短歌だった。

         

 (「第一歌集『春原さんのリコーダー』」『セレクション歌人26 東直子集』邑書林・2003年 所収)