2016年2月4日木曜日

人外句境 31 [岸本尚毅] / 佐藤りえ



とけし顔胴に沈みぬ雪達磨  岸本尚毅

日本の雪ダルマは二段だが、西洋の雪ダルマ(名称も「雪人」だったり「雪男」、スノーマンだったりする)は三段が多い、というトリビアはだいぶ巷間に広まっているのではないだろうか。広景の『江戸名所道戯尽』にはもっと造型が達磨然としたものが見られるが、馴染みの雪ダルマは、白い雪玉を重ね目鼻をつけたものである。

積雪の後、晴れた往来に溶け残る雪達磨を見かけるのは楽しくてちょっと悲しい。なぜ悲しいのかというと、人型に作られながら、溶けることを余儀なくされる彼ら・雪達磨の存在が、すでに制作者たちに忘れ去られているように見えるから、ではないだろうか。「沈みぬ」が質量と時間を十分に表し、大きなダルマだったんだろうな、と胸が痛む思いを誘う。
日当たりのよい頭部から失われていくもの、バランスを失って崩れ落ちていくもの、誰に看取られることもなく、様々の最後が家家の軒先で遂げられていくのは「雪の生贄」といったら言い過ぎだろうか、考えすぎか。

『小』を読んでいると、能狂言でいうところの摺り足のような筆致、文体がじわじわとしみてくる。書かれる対象への「近寄り方」が摺り足がちなのだ。

春めくやどこへゆくにもこの姿
春になり面白くなり嫌になり
うたかたにして白々と氷りたる
なめくぢの頭の方がやや白し
硝子戸を開けて網戸が顔の前
湯たんぽを夜毎包める布あはれ
海いつもどこかが動きゐて涼し
人間は弁当が好き冬の雲

「春になり面白くなり嫌になり」、木の芽時のウキウキした感じと背中合わせの物憂さ、また盛り上がれば盛り上がるほどに比例して大きくなる「醒めた感じ」が、音韻のうねりでひとつの線上に連続して置かれ、おもしろうてやがて哀しい。「うたかたにして白々と氷りたる」池か、川か、湖か、氷った水の、かつて泡であった空間の方を見つめている。「…にして」の持つ〈時間〉(…にして、しかも)が冷気を伝えてくる。
〈『小』(KADOKAWA/2014)