2015年9月23日水曜日

目はまるで手のように言葉に触れる 22[渡辺水巴]/ 依光陽子




天渺々笑ひたくなりし花野かな   渡辺水巴



安保法案可決の翌日、句帳を持って花野に立った。まさに天渺々、どこまでも晴れた一日で、芒も萩も女郎花も彼岸花も蓼も虎杖も咲き誇り、翅あるものは飛び交い、草草の光が交差し合っていた。それは、ここのところずっと立憲主義とは何かを考えながらメディアを注視し続けてきた目に、まるで初めて見るような異質な光景に映った。現実から遠く、しかし確かに現実であり、句帳を手に対象に向っている自分は明らかに異物だった。

山本健吉みたいだ。『現代俳句』の中で健吉は、掲句については珍しく自身の体験、感情に引きつけて鑑賞している。水巴の訃報をきいた時、健吉は京都洛西宇多野の花野にいた。そしてふと思い出したのが、他のどの名句でもなく掲句だったという。健吉は自己分析する。敗戦後のやり切れないようなみじめさを思い切って虚空に哄笑を発散させてみたいという鬱積した気持ちが、晴れ渡った花野の景色に触れて掲句を引き出してきたのだろう、と。

掲句の背景には関東大震災がある。掲句は水巴が震災であらゆるものを失った直後の句なのである。しかし句の背景を知らずともこの「笑ひ」が明るく楽しい笑いだと受け取る者はいないだろう。何故なら季題が「花野」だからだ。そして私が健吉と受け止め方が少しだけ違うのは、健吉は掲句から水巴の特徴のある高笑いを聞き取っていること。「どうやら人間の笑いとは思えない高い乾いた声が虚空のどこからか聞こえてくるような気持に引きずりこまれるのだ」(『現代俳句』山本健吉)

私は掲句からベルクソンの言う笑いの背後にある「悲観論の兆し」を見てとった。

「もっと自発的でない苦々しいなにか、笑う者が自分の笑いを考えれば考えるほどますますはっきりしてくるなんともいえない悲観論の兆しを直ぐに判別できるはずだ。」 
「生に無関心な傍観者として臨んで見給え。数多くの劇的事件は喜劇と化してしまうだろう。」
(『笑い』アンリ・ベルクソン)

「笑ひたくなりし」と「花野かな」の間に「笑うことはできなかった」姿が見える。「僕笑っちゃいます」的なトホホな笑い以上の痛切な想いがここには確かにあって、この不条理を笑えるのならばいっそ笑って喜劇化してしまえたら、といった空しい願望も感じる。あっけらかんとした物言いが逆に道化師の笑いのように悲観的な心情を滲ませる。実際、生命の最後の饗宴である花野の圧倒的な景を眼前にしてどうして笑うことができようか。

大空にすがりたし木の芽さかんなる><家々の灯るあはれや雪達磨>のような句からも水巴のものの見方の偏向が見てとれる。大空を仰ぎ心を解き放つでなく「すがりたし」と思い、雪達磨のある家の灯には家族の団欒を見るではなく「あはれ」を見てしまう目。

さて、掲句を含む句集『白日』は水巴の第五句集であり、明治33年から昭和11年までの36年間の定本句集である。水巴の句は、殊に繊細な句が人口に膾炙しているが、蛇笏、鬼城り、普羅、石鼎等と「ホトトギス」の第一全盛期を築いただけの骨太さがある。そして季題への着地地点が独自だ。今読んでも唸らされる句が多い。

「十年も経てば大抵の作品は色が褪せてしまふ。廿年も経てば大抵の作品は色が失せてしまふ。それは現に此の句集が明確に語つてゐる。(中略) 此の句集とて、畢竟は、それだけの存在でしかありえない。」 
(『白日』あとがき) 

炯眼である。


水蜜桃や夜気にじみあふ葉を重ね

秋風や眼を張つて啼く油蝉

菊人形たましひのなき匂かな

紙鳶あげし手の傷つきて暮天かな

一つ籠になきがら照らす螢かな

会釈したき夜明の人よ夏柳

どれもどれも寂しう光る小蕪かな

向日葵もなべて影もつ月夜かな

幼な貌の我と歩きたき落葉かな

手をうたばくづれん花や夜の門

伽藍閉ぢて夜気になりゆく若葉かな

牡丹見せて障子しめたる火桶かな

樹に倚れば落葉せんばかり夜寒かな

家移らばいつ来る町や柳散る


(『白日』昭和11年刊。『現代俳句大系 第2巻』所収)