2015年7月22日水曜日

目はまるで手のように言葉に触れる 18[楠目橙黄子]/ 依光陽子




本をよむ水夫に低き日覆かな 楠目橙黄子


本と水夫いえば誰もが次の句を思い浮かべるだろう。


かもめ来よ天金の書をひらくたび 三橋敏雄



三橋敏雄は戦中は横須賀海兵団に所属、戦後は運輸省所属の練習船事務長として船に勤務していた。この句が<天金のこぼるゝ冬日に翔ぶかもめ 南雲二峰>のオマージュであるにせよ、ロマンティシズムに徹した青春性の迸り出る敏雄の句が他の二句を遥かに上回っていることは改めて書くまでもない。

掲句は本と水夫という組み合わせは魅力的だ。さりげないが水夫の人物像がくっきりと見えて来て、絵としても美しい。船上と捉えるもよし、また港の風景と捉えてもいい。読んでいると異国のような気もしてきて、イメージする国によってこの水夫を取り巻く空気感が様々に変わって味わえる。

色は白。水夫の制服も、夏の日差も、日覆の下の明るい陰の中で開いた本のページも。日差の強さから日覆自体の色は消え、遠目にはただの白光となって目に映るだろう。船体もまた白いに違いない。

「低き」の措辞も効いている。日中の休憩時間だからまだ太陽は高い位置にあるが、だんだん光線が斜めに射し込んでくるので日覆を初めから低く下ろしているのだ。本に没頭している姿から、水夫には似合わぬ痩身で文学青年のような印象や、清潔感や若さも感じる。

掲句を含む句集『橙圃』は大正4年から昭和9年までの20年間で高濱虚子選の作品から抄録した665句から成る楠目橙黄子の第一句集。この間の橙黄子は間組代表取締役で、任地に従い朝鮮・満州、九州、大阪など様々な地を仮住しながらの句作であった。各地を転々としながらも俳句がいわゆる絵葉書俳句に落ちなかったのは、しっかりと地に足がついた句作りをしていたからであろう。花鳥諷詠で一句一句丁寧に作られているが、句数の割に視点も句風も単調で不充足である。作者の俳句への思いを汲み取るには読み手側に辛抱がいるかも知れない。

追従を許さじと扇使ひけり 
僧に尾いて足袋冷え渡る廊下かな 
野に遊ぶ日曜毎の路を又 
枯芦に大阪沈む煙かな 
定かなる蠑螈の姿泥動く 
をかしさや全く枯れし菊に傘 
潮ざゐに遠のく泡や春の雨 
蟷螂の飛び立ちて行くはるかかな 
水中にすがるる草や秋日和 
草刈のしとどぬれたる馬を曳き

(『橙圃』昭和10年刊。『現代俳句大系 第2巻』所収)