2015年6月15日月曜日

今日の小川軽舟 47 / 竹岡一郎




冷蔵庫闇にひらきて光抱く        

「闇にひらきて」とあるから、深夜、家族が寝静まった後に、喉が渇いたか小腹が空いたかして、開けたのだろう。或いは一人者なのかもしれぬ。日常の些細な事なのに、妙に切実な思いが滲むのは、下五の「抱く」による。作者自ら光に対して働き掛ける動詞を出したことにより、光への想いが出るのだ。

夜中に冷蔵庫を開けて、ぼんやりすると安心する、という人がいる。中にはある程度、食糧が詰まっていた方が良いそうだ。冷蔵庫の温度が上がって、ピーピー音が鳴り出すと、名残惜しく閉めるのだそうで、友人にも何人かいた。私などはドライな人間なので、そんなことは先ずしない。この行為は子宮回帰願望であって必要なのだ、と主張する友もいて、そうであれば中々切ない話である。食べ物が詰まっているのを見て、無意識に安心するのだとも考えられる。それならば本能の変形であって、また悲しい。

季語は作者自身であるとは、作者のかねてからの主張である。掲句は作者と季語が重なって読める例だろう。言葉通りに読めば、冷蔵庫を開いたのは作者である。冷蔵庫の光を抱いたのも作者だ。だが、冷蔵庫が作者の手に応じて、或る意志を以て開いた、と読む事も出来る。今の冷蔵庫はマグネットで閉じているだけなので、内側からも簡単に開く。満杯に物を容れていれば、何もしなくとも勝手に開くことがある。

光を抱くのは、作者であると同時に冷蔵庫でもある。冷蔵庫は完全に閉じてしまえば、中は闇だ。扉を閉じるぎりぎりにして、観察してみると、ふっと光が消えるのが判る。扉をゆっくりと開き始めると、中の物が横から見えるか見えないかの処で、明かりがともる。冷蔵庫は、外界の闇に囲まれて、密閉された闇を抱いているのだが、そこに人間の手が加わって、外界と通じさせた途端に、光が生じる。

食べ物が腐らないための工夫を凝らした箱の内が灯る、これは一時的にせよ安心感を与える。かつて三種の神器と言われただけの事はある。食糧を備蓄できるがゆえに餓えないという安心、そして闇の中でも開けば灯るという安心、やっぱり子宮回帰願望にどこか通ずる安心感なのだろうか。

「鷹」平成26年10月号。