2015年5月13日水曜日

黄金をたたく20 [金原まさ子]  / 北川美美



塩漬の牛肉(ぎゅう)をください十字切る  金原まさ子

映画『ゲルマニウムの夜』(原作:花村満月)は、少年が殺人を犯し、警察の手の届かない修道院へ戻り、教会で殺人の告白をするシーンから始まる。そこに雪の中を走る黒い牛たちが映る。映画・小説ともに、暴力・セックス・同性愛を通して、神聖なるものへの欺瞞を描いた作品といわれる。上掲句は『ゲルマニウムの夜』と被るからくりが見える。

「ください」で懇願あるいは欲求を示し、「十字切る」によりキリスト信仰を表現する。<塩漬けの牛肉>は、干せばビーフジャーキー、缶詰であればコンビーフといったところだろうか。ちなみに缶詰瓶詰、発酵食品にいたる保存食が急速に発達する影に、いつの時代も戦争が関連してきた歴史がある。例えば、ナポレオン時代の政府は兵士の滋養がとれるよう懸賞金を懸けて考案を募集し、二コラ・アペールという食品加工業者が12000フランを獲得する。日本の戦国時代も陣中食として、にぎり飯、干飯、梅干し、切り干し大根、芋がら、吉備団子…手軽にエネルギーを補うための食事方法が発達する。保存を効かせた食材は貴重なエネルギー源であり、生き延びるための方法なのだ。

作者が欲している<塩漬けの牛肉>はもしかしたら戦争あるいは災害時のための非常食かもしれず、あえて牛としているのは、都会で育った作者の食へのこだわり、すなわち生に対するこだわりと解した。

古来日本では牛は農耕を助ける貴重な労働力であり神聖な動物であった。元来日本では家畜の獣を食す習慣がなく、牛肉が庶民的になるのは文明開化以降になる。なので<十字を切る>は文明開化後の食習慣を表すに理にかなっている。おそらく作者が育った時代も牛肉を食するのは限られた家庭だっただろうと想像する。

掲句は豈57号<招待作家・50句>表題「パラパラ」の冒頭句(一句目)である。<塩漬けの牛肉>を欲するのは、生きているこだわり。そのこだわりにこそ人類の救いと希望があるという作者の信条がみえてくる。そしてこの句からはじまる50句の作品を読む倫理は各読者の中にある、という読者へのメッセージと読める。

<俳句空間「豈」57号招待作家・50句「パラパラ」2015年4月所収>