2015年4月10日金曜日

黄金をたたく16 [遠山陽子]  / 北川美美



老人を老犬が曳く桜かな  遠山陽子

桜前線が北上している。Facebook、Twitterなどを通じての桜を見ていると、東京の桜がことさら豪華に見えるのはやはり、鑑賞用のソメイヨシノが江戸の発祥で、江戸期の河川の整備にともない桜、柳が植えられたことに起因しているように思う。爆発的人気となったのは、明治以降というのだから、そう古い歴史ではないのだ。今年はニュースで外国人観光客に桜が人気ということが取り上げられていた。歌の中の桜は、平安の時代から詠み継がれているが、桜の種類や歴史を調べることにより、意外にその読みの範囲が多義になることに気が付く。その年の桜を何処で誰と見ていたのか、というような想像、まさしくfacebook的な取り上げ方に興味が湧くかどうかというところだろうか。

掲句、作者はひとりでいるのかもしれないが、たまたま、老犬に曳かれる老人を見た。その背景に桜が咲いていたという設定。おそらく散歩のコースなので、公園や街路樹という場所だろうか。なので桜の種類はソメイヨシノと想像。

「老人を老犬が曳く」(言い換えれば、老犬が老人をリードしている)というのが面白い措辞であり、犬側からみると、それには2つの理由が考えられる。

(1)老人が一番のボスでないので犬がリードしているというケース。おそらく郊外の一軒屋に暮らすご老人で、一番のボスは老人の息子または娘。老犬が勝手に先を歩いて躾が悪いケース。

(2)同じく、郊外の一軒屋に暮らすご老人で、息子または娘の家族と同居だが、ご家族がご老人に対して尊敬と愛情をもって暮らしていらっしゃる、なので犬側が「俺がリードしなければならない」という使命感で先を歩いているケース。坂道を上っているのかもしれない。

2ケースとも、その状況設定が老人にとって幸せかどうかはわからないが、少なくとも傍若無人な老人ではなく、家族とともに多少遠慮がちに余生を送っている、という想像である。

筆者の暮らす地方のとある町では、「老人が老人を曳く」「老人が老人を乗せる」(元気な老人であれば人と集うのだが、ほとんどの老人は一人で手押し車を押している。)というケースが散見される。町の医師会の予測では、20年後にはその老人すらもいなくなる、市が存続するかどうかわからない恐ろしいデータが出ているらしい。ソメイヨシノであれば桜の寿命も同じくらいかもしれなく、なんとなくネガティブな想像もする。

それよりも掲句の老人が無事に帰宅できたのかが気になる。飼い主が倒れたり、緊急の事態になったとしても犬は勝手に帰宅するらしいので…、と余計なことばかり想像してしまう。それだけ人に勝手な想像させる効果が桜にあるからだろう。

《『弦響』2014年角川学芸出版》