2015年3月10日火曜日

目はまるで手のように言葉に触れる 2[増田龍雨]/ 依光陽子




石鹸玉格子もぬけず消えにけり   増田龍雨

石鹸玉を吹く。歪みながら玉虫色に縁どられ膨らんだそれは、目鼻を映しながらさらに膨らむ。ほどよい大きさになったとき、息を強めに吹き込みストローを少し揺らして、石鹸玉を空に放つ。風は頬を撫でるくらいのそよぎがいい。樹や庭の雑多なものを映しながら上ってゆく石鹸玉。今も様々なものが映っているのだろうが、もう私には見えない。不意に風が来て石鹸玉は流される。色を失った石鹸玉は遠目にもふるふると震えているのがわかる。そして格子戸の手前で、弾けて消えた。

以上が普通の読み。これでは不十分だ。「も」が解釈からもれている。

むかし、洲崎の土手下に、海の中から足場立てをした五六軒の並び茶屋があつた。
纏尽し、千社札、あばれ熨斗などを染めだした景気暖簾を、高々と汐風になびかせて、蛤なべや鱚の塩焼に、深川風のあだものが、堤を行く人々を呼んでゐた。
(中略)
そして、そこらから、洲崎弁天の初日の松が青々と遠く見通されたものであった。
と云へば勿論、根津の廓が埋立地へ移らぬ前のことである。
そのころ、わたしは、発句をつくるすべをおぼえたのである。
 
(『龍雨句集』跋より)

『龍雨句集』が上梓された昭和五年、龍雨は十二世雪中庵を継いだ。雪中庵は服部嵐雪から脈々と続いてきた旧派。本格的に俳諧の大道を歩む決意であった龍雨は旧派の宗匠となることを避けていたが、師、久保田万太郎らの慫慂によりこれを受け入れた。龍雨の粋は江戸に通じている。

「格子もぬけず」の「も」は「格子すらもぬけられずに」という意味が含まれる。龍雨は石鹸玉に誰かの姿を見、その脆さ、はかなさを重ねた。吉原中米楼の奥帳場に勤めていた昔日を追懐したのか。昼間でも点いている裸電球。客を招く遊女の白い腕の揺らぎ。幽かな声。彼女たちは一生格子の外に出ることを許されず露と消える。

或いはこれは龍雨自身の想であろうか。雪中庵を継ぐという格子を抜けられなかった想い。四年後、龍雨は没した。

この悲しい「も」があることで心に残る一句となった。

ひとり突く羽子ならば澄みつくしけり
鶯やあとなき雪の濡れ木立
大木のおよそ涼しき細枝かな
更衣仏間はもののなつかしき
茎漬や髪結へば雪ふるといふ
河豚の友時をうつさず集ひけり


(『龍雨句集』昭和5年刊。『現代俳句大系 第一巻』所収)