2015年2月16日月曜日

黄金をたたく12 [三橋敏雄]  / 北川美美


かもめ来よ天金の書をひらくたび  三橋敏雄

輝かしくそして勇気づけられる一行の詩。七十年を経てもまったく古びない言葉の贈り物。

原句は昭和十二年四月「句と評論」に入選の〈冬ぬくき書の天金よりかもめ〉が初出。このとき敏雄十六歳。その後掲句の姿に改作の後、昭和十六年刊の合同句集『現代名俳句集・第二巻』「太古」に収録。このとき敏雄二十一歳、太平洋戦争が開戦された年である。その情勢下にありながら当時の西洋へ憧憬が〈かもめ〉〈天金〉に現れ、七十年以上を経た現在でも古びない。未知の世界に胸をときめかせる心地よさがある。

それまでの「俳句」という外的イメージ、例えば、畳の上で和服で渋茶をすすっているような光景。それが新興俳句によって、革張りソファーにウィスキーグラスを片手に男たちが語りあうようなイメージに飛躍したのだから相当なマイナーチェンジを果たしたともいえよう。朝ドラ「マッサン」の解説じみたことになるが、昭和十五(1940)年の国産スコッチウィスキーの国内最大の消費先は日本海軍という記録がある。(三橋敏雄は召集後、横須賀海兵団に所属。)


日本での天金の装丁本は明治・大正期にみられ、「内容は精神、装丁は肉体」といわれるほど、すばらし造本が展開された。夏目漱石の『吾輩ハ猫デアル』橋口五葉装丁、萩原朔太郎『月に吠える』画・田中恭吉、装丁・恩地孝四郎など美術品装丁といわれる。実際に敏雄は朔太郎の著作に親しんでいることが年譜から伺える。

この句の<天金の書>…自分ならどんな書籍か、というエッセイをいくつか見る。自分の書棚を見ると、高校生時に購入した革張りの小さな英和辞書、三省堂GEMが天金いや三方金だ。雀のような小さな辞書。自分にとっては、持っているだけで安心、実際に持ち歩いていたのは言葉によるコミュニケーションに興味が湧いた頃だったように思う。<かもめ来よ天金の書をひらくたび>の気分だったのだ。

<『太古』『青の中』所収>